カール大帝はオランダ人

フリー質問サイト上「カール大帝はフランス人でしたかドイツ人でしたか?(Charlemagne était-il français ou allemand ?)」という質問をみかけたが、親切な誰かが回答しているように、彼はどちらでもなくフランク人(francique)であった。その当時フランスとかドイツという国はないのだから、当然である。

 

とはいえ質問者は、「カール大帝はどこで生まれましたか?その母語は何語ですか?(Où est-il né et quelle était sa langue maternelle ?)」とも質問しており、カール大帝が文化的・言語的に現代フランス・ドイツのどちらに近いのかを聞きたかったのかもしれない。

 

彼が話していた言葉はフランク語(francique)であり、これはゲルマン人の言葉であって、ローマ人が話していたラテン語とは関係がない。よく知られているように、フランス語は、ガリア人(フランス及びその周辺に住んでいたケルト人)たちが用いた俗ラテン語をベースとした言語である。ではフランク語は現代ドイツ語に近いのかというと(ゲルマンというとブレロはすぐドイツを想起する…)、よくわからない。フランク人の中でもサリ族という部族が、フランク王国の建国において中心的な役割を果たしたが、サリ族の発祥地というか本拠地はどこかというと、現代のオランダではないかといわれている。オランダのオーファーアイセル州にサラント(Salland)地方があり、アイセル川の古名もサラ(Sala)と言ったことから、これらの地名と関係があると考えられているのである。

 

↑Wikipedediaより(1,2)/ライセンスリンク

 

実際、古フランク語(Vieux-francique)に関するWikipediaのフランス語版記事によると、古フランク語の本質的な部分は、今日でもオランダ語に受け継がれているという。だから言語的な近縁性からいえば、「カール大帝は、フランス人でもなくドイツ人でもなくオランダ人であった!意外!」と回答すべきなのかもしれない。

 

なお、現代のフランスは地理的にはフランク王国の一部であったから、フランク語はフランス語の生成にも一定の影響を与えている。上記のWikipedia記事によると、現代フランス語におけるフランク語起源の語彙は約400あるという。

 

ところで、カール大帝が戴冠したのは西暦800年であるが、その約190年後に分裂後の国家である西フランク王国が滅亡して、(同国国王ロベール1世の孫である)ユーグ・カペーがフランス王国を建国した。フランスの図書館司書さんたちが協力して構築しているサイト「Eurêkoi」の記事によると、カペーはもはやフランク語を話さず、古フランス語(françois)を話していたという。

 

西フランク王国で支配者たちはしばらくフランク語を話していたが、次第に土着の言葉であるフランス語を使うようになり、やがて彼らの母語にもなったのだろう。ちょうど、イギリスを征服した支配者たち(ノルマン人たち)がしばらくフランス語を話していたが、やがて土着の言葉である英語が彼らの母語になったように※。

 

※ とはいえ、英語が貴族たちの中で相当に浸透したのは13世紀から14世紀といわれているので、「やがて」といっても、1066年のノルマン征服からその状態に至るまでに相当時間が経過したことは確かである