国名はフランク、雄鶏はガリアに由来
周知のようにローマ帝国はトラヤヌス帝のときに最大版図を獲得したが(だいたい紀元100年頃)、その後徐々に異民族によって領土を浸食された。紀元300年ごろにゲルマン人の大移動が始まると、さらにもっとごっそりと浸食された。しかしベルギーの高名な歴史家ピレンヌによると、トラヤヌス帝によって確立されたローマ文化圏をRomaniaと呼んだ場合、ゲルマン人の侵入後もRomaniaはほとんど無傷だったという。つまりローマ帝国は政治的には大ダメージを負ったが、文化的にはさほどダメージを負わなかったようなのである。これは、ゲルマン人の征服後も、ローマ文化を伝える旧来の住民(ローマ系住民)の生活が保障されていたこと、ゲルマン人は新たに獲得した領土に彼らの部族的特徴をほとんど持ち込めなかったことを示している。この点について、ピレンヌは以下のように述べている※。
「住民および土地に対する支配関係からみても、侵入の結果ローマ世界Romaniaに変化が生じたわけではなかった。むろん或る程度の掠奪や暴行は行われた…けれども嵐のあとには再び平静が立ち帰ってきた。侵入による災禍をおそれて逃亡し、そのために零落したペラのパウリヌスが語っているところによると、かれは、依然かれの所領として手を触れずに残されていた、マルセイユ近郊の小さな所領を買い取ってくれた一ゴート人のおかげで救われたということである…つまり、見棄てられた所領があっても、侵入者たちはそれを横取りしたわけではなかったのである。」
「定着はどのような形で行われたのだろうか。むろんゲルマン人たちが有利な立場を占めたことは容易に推測できる。しかしそれによって根本的な変化が惹き起こされたわけではなかった。土地の再分配が行われたわけでもなければ、新しい農法が導入されたわけでもなかった。ローマ人コロヌスたちは…ローマ人地主に納める代りにゲルマン人地主に納めるようになった。奴隷は征服者たちの間で分配された。一般の農民について考えてみても、大きな変化を感じたとはとても思われない。イギリスに見られるような、一つの農業制度から別の農業制度への交替という事態は、ローマ世界Romaniaのいかなる地方にも認められないことである。」
昔、ブレロが学校でゲルマン人の大移動について習ったときにブレロが抱いた印象は、「大量の侵入者がローマ帝国内に流れ込んで、人口構成に大きな変化を生じさせた出来事」というものだった。しかしこの印象はどうやら事実とは違う。侵入してきたゲルマン人は、実際にはRomaniaに住んでいた人々よりもはるかに少なかった。人口構成に大した変化は起きず、「ただ明らかなことは、ゲルマン人たちが大量のローマ系住民たちの中に姿を没して行ったこと」※2だったのだ。
侵入してきたゲルマン人は、ローマ帝国内に彼らのゲルマン的要素をほとんど持ち込めなかった。例外は北のブリテン島くらいで、今日のイギリスがある島だが、ここは侵入者であるアングロ・サクソン人の部族的な制度に塗り替えられた。しかし、その他の地域は概してそうではなかった。ゲルマン人は大移動する前からローマ系住民と頻繁に接触していたし、Romaniaがいかに優れているかをよくわかっていた。憧れの気持ちすらもっていたと思う。そんな彼らが帝国のただ中に移住して彼らの王国を建設しても、Romaniaに「取って代るものはなかったし、これに反抗するものも現れなかった。教会も世俗一般も、これに代る他の文明の形態が有り得ようとは思いも及ばなかった」※3のである。
そんなわけで、フランク人がローマ帝国内に王国を打ち立てると、フランクの教養人たちはラテン語で公文書を書いた。ローマ人が自分たちを「フランク」と呼び、自分たちの王国を「フランク人の国(Francia)」と呼んだものだから、公文書にも「Francia」と書くほかなかった。これが今日のフランスの国名(France)の起源である。領内のガリア人たちは、もともとはケルト系の言語であるガリア語を話していたが、ローマ帝国の支配下にあってすっかりラテン化してしまい、俗ラテン語をしゃべるようになっていた(ガリア語は6世紀までには死語になった)。フランクの支配下でも俗ラテン語を使い続け、それがのちの古フランス語になった。
以上の次第で、国名自体はフランクに由来するとしても、今日のフランス人にとっての文化的な故郷はガリアである(フランス人が自国を指して「ここガリアの国では…」という言い方をすることがよくある)。ガリア人はフランク人ではないし、純粋なローマ人でもない。雄鶏のマークはフランスの象徴とされているが、それは国名の起源であるフランク王国とは関係がなく、ガリアの象徴である(ラテン語gallusには、「ガリア」と「雄鶏」の二つの意味がある)。
※ アンリ・ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ』(増田四郎監修、中村宏=佐々木克己訳、講談社学術文庫、2020)114-115頁。
※2 同63頁。
※3 同75頁。

